下山千遥
近現代ドイツ哲学、学問論——特に現代ドイツ哲学者ガダマーの哲学的解釈学

1997年生。2020年京都大学総合人間学部卒業。2022年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2026年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)(京都大学、2026年)。
2024年度〜2025年度、日本学術振興会特別研究員(DC2)。京都府医師会看護専門学校非常勤講師等を経て、2026年4月より大阪大学大学院人文学研究科助教。
学部時代に「n=1でしかないテクストを解釈することが、どうして学問として成立するのか」という問いを抱きました。それ以来ずっと、その問いの答えを探しています。
博士論文では、人文学領域の学問内部での「解釈」の妥当性がどのように定められるかについて、ハンス゠ゲオルク・ガダマーの哲学的解釈学を一つの軸に据えて研究をしました。
2024年度〜2025年度、日本学術振興会特別研究員(DC2)。京都府医師会看護専門学校非常勤講師等を経て、2026年4月より大阪大学大学院人文学研究科助教。
学部時代に「n=1でしかないテクストを解釈することが、どうして学問として成立するのか」という問いを抱きました。それ以来ずっと、その問いの答えを探しています。
博士論文では、人文学領域の学問内部での「解釈」の妥当性がどのように定められるかについて、ハンス゠ゲオルク・ガダマーの哲学的解釈学を一つの軸に据えて研究をしました。
メッセージ
「人間とは何か」「世界とは何か」を知ろうとするときに、哲学・文学・歴史などの書物や資料を読み解き、その解釈を吟味するという方法が諸学問として成立しているのはなぜでしょうか。この疑問から、私は「解釈」をめぐる哲学を研究しています。
事実は解釈の先に存在しているとどうして言えるのか。あるいは、われわれは解釈にしか到達できないのか。そうした問いを突き合わせながら、われわれが人間や世界を理解するとはどういうことかについて考えています。
事実は解釈の先に存在しているとどうして言えるのか。あるいは、われわれは解釈にしか到達できないのか。そうした問いを突き合わせながら、われわれが人間や世界を理解するとはどういうことかについて考えています。
