世界のなかに存在する「私」とはどんな存在なのか——「実存」の思想史を追う:キルケゴールからフーコーまで
開講期間: 2026年9月5日 〜 2027年1月16日
3週に1回土曜日20:00〜21:30
難易度: 中級〜発展※ 難易度についてはこちらを参照ください。
受講者募集中
事前募集期間2026年8月29日 21:00 まで
授業回数7 回
現在の申込数1名(最低開講人数: 5)
※ 事前募集期間中にお申し込み数が最低開講人数に達しなかった場合は不開講となります。
内容紹介(概要)
ハイデガーやヤスパース、サルトルといった名前とともに「実存」や「実存主義」あるいは「実存哲学」といった言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。この講座ではいわゆる「実存主義」と呼ばれる哲学者たちの思想を追いつつ、さらに通常は「実存主義」には含まれない思想家たちにまで手を広げ、「実存」の展開を探ってみたいと思います。それによって哲学的思想の広がりや多様さ、そして展開のダイナミックさを感じてもらいたいと思います。
さて、それでは「実存」とは何でしょうか。それは単純化して言ってしまえば、個別で具体的な存在としての人間のあり方を指し示す言葉です。抽象的な「人間一般」ではなく、〈自分自身の存在を問う「私」〉の存在と言ってもいいでしょう。近代的な「実存」の思想は一般に、19世紀デンマークの宗教思想家セーレン・キルケゴール(1813–1855)に端を発するとされますが、その影響を受けながら、ドイツやフランスで展開された思想が「実存主義」や「実存哲学」と呼ばれるものです。
キルケゴールは、時間のなかに生きる有限な人間が自己自身や神との関係においていかに存在するのかという問題を考察し、そのあり方を「実存」と呼びました。近代的な「実存」の元になったラテン語の「existentia」はもともと、事物が「存在していること」、すなわち事物の「現実存在」を言い表すための言葉でしたが、キルケゴールとともに、ひとりの人間が主体的に存在するという場面が前景化されることになったのです。
キルケゴールの思想は、同時代にはさほど影響力を持たなかったようですが、20世紀初頭にドイツ語圏を中心に再発見され、その後フランスにも広がっていきました。その過程において、カール・ヤスパース、マルティン・ハイデガー、ジャン゠ポール・サルトルといった20世紀を代表する哲学者たちに大きな影響を与え、いわゆる「実存哲学」や「実存主義」と呼ばれる思想が形成されることになります(ちなみに、ヤスパースは「実存哲学」を、サルトルは「実存主義」を標榜しましたが、ハイデガーはどちらの呼称も拒否しています)。
とはいえ、これらの思想家たちが「実存」の言葉に込めたものはかならずしも同一ではありません。彼らはキルケゴールの思索の影響を受けつつも、それぞれ異なる仕方で「実存」の概念をとらえなおし、二度の世界大戦の勃発という歴史上例を見ない時期において、世界の中に存在する「私」とはいかなる存在なのか、ある具体的な状況のなかで「私」はいかに生きるべきなのか、といった問題を深く考察しました。ハイデガーにおける現存在や世界内存在といった概念、ヤスパースにおける限界状況、サルトルにおける自由といった主題はいずれも、「世界」と「私」の関係性を問うものだったと言うことができるでしょう。
本講座では、こうしたいわゆる「実存主義」の展開を追いながら、それに加えてシモーヌ・ド・ボーヴォワール、エマニュエル・レヴィナス、ミシェル・フーコーという3人の思想から、「実存」をめぐる思想のさらなる展開を考察してみたいと思います。
第二次大戦後、「実存主義」は、ボーヴォワールの『第二の性』(1949)によってフェミニズム思想に大きな影響をおよぼしました。『第二の性』では、「女性とは何か」という問題が、社会や歴史のなかで人間がいかに形成されるのかという実存の問題としてとらえなおされます。哲学史において看過されてきた「女性としての私」という存在が、実存主義という思想とともに前面に現れてきたのだと言うこともできるでしょう。以降フェミニズムは理論的にも大きく展開することになります。ここではボーヴォワールとともに「他者としての女性」について考えてみたいと思います。
レヴィナスは、ドイツ留学中にハイデガーと出会い、その思想から大きな影響を受けます。しかしその一方で、ユダヤ人であり、戦争捕虜として強制労働に従事させられた経験ももつ彼は、ナチへと加担したハイデガーとは終生微妙な距離をとり続けました。今回の講座では、まさに戦争捕虜としての期間中に構想され、戦後に発表された独自の存在概念である「ある(イリヤ)」について、さらにはレヴィナスの代名詞とも言える「他者」と「倫理」の思想について考えてみましょう。
最後にフーコーは、60年代には構造主義者のひとりとみなされ、とりわけ反実存主義的な「人間の死」というテーゼで大きな話題になりました。しかしフーコーは、晩年に「生存の美学」という思想を展開します。ここで「生存」と訳されているフランス語は、「実存」と訳されるものと同じ「existence」です。したがってここに、「実存」の概念のラディカルな変容を見ることができるでしょう。古代の性の実践や「自己への配慮」といったテーマを手がかりに、晩年のフーコーがどのような「私」を考えようとしたのかを考えます。
以上7人の思想家によって「実存」の問いがいかに論じられ、いかに展開したかを見ていきたいと思います。それによって各自が自身の存在を考えなおすための機会にしていただければと思います。
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授業予定
私はいかにして自己自身であるのか——キルケゴール
第2回 2026年9月26日(土)20:00〜21:30
人間とはどのような存在者なのか——ハイデガー
第3回 2026年10月17日(土)20:00〜21:30
私はいかにして実存するのか——ヤスパース
第4回 2026年11月7日(土)20:00〜21:30
自由な存在として私はいかに生きるのか——サルトル
第5回 2026年11月28日(土)20:00〜21:30
「女性としての私」はいかに形成されるのか——ボーヴォワール
第6回 2026年12月19日(土)20:00〜21:30
存在のざわめきから絶対的な他へ——レヴィナス
第7回 2026年1月16日(土)20:00〜21:30
「私」はいかに自己を作り変えうるのか——フーコー
※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。
こんな人におすすめ
20世紀の思想史に興味がある人
扱われている哲学者に興味がある人
講師情報

授業スケジュール
次回開催
2026年9月5日 20:00 〜 21:30
第1回 私はいかにして自己自身であるのか——キルケゴール
参加可能人数: 無制限2026年9月26日 20:00 〜 21:30
第2回 人間とはどのような存在者なのか——ハイデガー
2026年10月17日 20:00 〜 21:30
第3回 私はいかにして実存するのか——ヤスパース
2026年11月7日 20:00 〜 21:30
第4回 自由な存在として私はいかに生きるのか——サルトル
2026年11月28日 20:00 〜 21:30
第5回 「女性としての私」はいかに形成されるのか——ボーヴォワール
2026年12月19日 20:00 〜 21:30
第6回 存在のざわめきから絶対的な他へ——レヴィナス
2027年1月16日 20:00 〜 21:30
第7回 「私」はいかに自己を作り変えうるのか——フーコー
世界のなかに存在する「私」とはどんな存在なのか——「実存」の思想史を追う:キルケゴールからフーコーまで
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