偶然の文学/偶然と文学——物語における作為性は克服できるか?〔日本近代文学論〕

開講期間: 2025年6月21日 2025年9月6日

隔週土曜日13:00〜14:30

難易度: 中級※ 難易度についてはこちらを参照ください。

受講者募集中

募集期間2025年6月14日 21:00 まで

授業回数6 回

受講料11,760 円

現在の申込数3(最低開講人数: 3)


内容紹介

私は大正期に活躍した作家、有島武郎について長年研究してきました。

大正文学に関心があって云々という自己紹介をする研究者が多いかもしれませんが、私の場合はそうではありません。有島武郎にだけ関心があったのです。なので、大学の卒論や修論は有島で書きましたし、岩波新書の『有島武郎――地人論の最果てへ』(2020年)を刊行できたときはずいぶんと嬉しかったのをよく覚えています。

ただ、とりわけ大学をでてから、自分の狭さをよく反省するようにもなりました。多くのことを知らない、知らないのは仕方ないにしても、まるで興味がないという自分に息苦しさを感じました。ですので、自分にとってあまり縁のなかったような、まさしく偶然の読書に導かれながら色々なものを書いてきました。みなさんと今回共有したいのが、そのなかで格闘したものの一つ、偶然文学論になります。

でも、こんなふうに「偶然」を語ることにすこしばかり躊躇もあります。どんなに偶然で既知の自分をかき乱そうとしても、それは、予定された偶然、かき乱すことはあっても決して本質的な危機を与えないよう仕組まれた偶然のように感じるからです。たとえていうなら、成金社長が変わらない日常に飽いた結果、外国に行って断崖絶壁でのバンジージャンプのレジャーに挑戦するようなものです。所詮は安全装置に守られた冒険です。どこか滑稽ではないでしょうか。

昭和初期に偶然文学論を唱え、多くの論者と論争した中河与一はこの問題に衝突していたはずです。

中河はいいます。最近の文学には偶然の要素が足りない。伝統的な私小説は身辺雑記的な日常茶飯に終始して現実の出来事の飛躍的な側面を無視している。かと思えば、プロレタリア文学は唯物史観という歴史観をもって創作に臨んでいるので、歴史の必然に縛られて身動きがとれなくなっている。というわけで、我こそは新文学の担い手であるといわんばかりに中河は偶然性に富む実作に着手していきます。同様の主張は仲間の横光利一にもみられます。

ただ、横光はともかく、中河の小説が果たして面白いかというと頷けないところがある。実際、彼の小説には偶然の出来事がよく描かれるのですが、それを読むたび私などは、作者・中河の頭がひょっこりでてきている感じをもつのです。ほら、こんなに上手に偶然が描けたよ、という作者の声が聞こえてくるかのような。

要するに、偶然が描かれているというより、偶然を描かねばならないという作者の理屈を読まされている気分になってくるのです。「ねばならない」を裏切ってしまうのが偶然ではなかったか? 現代風に言い直すと、ご都合主義を感じるのです。

虚構の物語を評価するとき、ご都合主義とはたいてい悪い意味、少なくともリアルとはいえないという意味で用いることがほとんどです。つまり、本当に起きたことを装っているものの、その実、偶然事を作者の思い通りに操作することによって都合のいいドラマに仕立て上げている。その作為性を告発する言葉として使われています。

少年向けコンテンツの要素に関してスラング的に用いられている「ラッキースケベ」もそうですよね。意図していたわけではないのに男性主人公が女性登場人物のセクシーな場面にたまたま立ち会ってしまう。これを偶然のリアルを描いているとみなす読者はいません。その根底には、女性の性的な一面を見たいと欲する男性たちの欲望があり、これに応えるためのサービスとして物語全体が統御されています。

こう考えてみると、偶然と文学は非常に取り合わせの悪いカップルであることが分かるでしょう。極端にいえば、偶然の本当を描こうと思った時点で当の偶然を裏切ってしまう逆説があります。飽きた自分を超えたいと願うのが相変わらずの自分であるという人生論の難問とともに。

しかし、逆にいえば、この不可能な試みを詳しく検分することで、私たちのいまでももっている文学観・物語観、さらには人生観の根本的な仕組みが透かしてみえてくるとも思うのです。

本講座では、偶然をリアルに描こうとした日本文学を紹介しながら、作品鑑賞を超えて、日常生活のなかでさえ我々のリアリズムの感覚を縛っている作り話のメカニズムについて考えていきます。導入は文学の話ですが、やがて我々のもつ世界認識そのものを問う作業にまで高まっていくはずだ、と講師は考えています。好奇心豊かな受講者を歓迎します。

※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。リアルタイムで授業に参加できない場合も見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブの視聴可能期間は、講座終了から1年間です。


◆受講の流れ◆

1. お申し込み

2. 開講&受講の決定

3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス

◦リアルタイム授業への参加URLは、受講決定時に自動送信されるメールに記載されている他、マイページ内「ダッシュボード」からもご確認いただけます。

◦講師とのやりとりや資料の配付はGoogle社が提供する学習管理アプリケーション「Googleクラスルーム」から行います。クラスルームにつきましては、受講決定時に別途招待メールが届きますので、そちらからご参加ください。

◦アーカイブはマイページ内「受講状況」からご覧いただけるほか、本ページ下部の「授業スケジュール」およびクラスルームからもご覧いただけます。

◦ディセミネでの初回受講時に送られる招待メールを承認することで、Googleカレンダーと自動で同期が可能です。是非ともお使いください。

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授業予定

第1回 2025年6月21日(土)13:00〜14:30

ご都合主義はなぜ回避されねばならないのか?


第2回 2025年7月5日(土)13:00〜14:30

中河与一の偶然文学論から考える


第3回 2025年7月19日(土)13:00〜14:30

国木田独歩の小説における驚異発生の仕組み


第4回 2025年8月2日(土)13:00〜14:30

複数性で生まれる偶然――寺田寅彦の連句論


第5回 2025年8月23日(土)13:00〜14:30

半開゠半壊の住処——葉山嘉樹というワンダー


第6回 2025年9月6日(土)13:00〜14:30

偶然の文学/偶然と文学(まとめ)

※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。

こんな人におすすめ

小説を筆頭に物語的な創作に興味のある人。
理論で創作物を読むのが好きな人、さらには、理論で創作物を読むことにうさんくささを感じている人。
自分を変えたいのに上手くいかない人。

講師情報

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荒木優太

在野研究者
日本文学——特に戦前の文学に関する研究

講師情報の詳細を見る ▶


授業スケジュール

  • 次回開催

    2025年6月21日 13:00 〜 14:30

    第1回 ご都合主義はなぜ回避されねばならないのか?

    参加可能人数: 無制限
     
  • 2025年7月5日 13:00 〜 14:30

    第2回 中河与一の偶然文学論から考える

     
  • 2025年7月19日 13:00 〜 14:30

    第3回 国木田独歩の小説における驚異発生の仕組み

     
  • 2025年8月2日 13:00 〜 14:30

    第4回 複数性で生まれる偶然——寺田寅彦の連句論

     
  • 2025年8月23日 13:00 〜 14:30

    第5回 半開=半壊の住処——葉山嘉樹というワンダー

     
  • 2025年9月6日 13:00 〜 14:30

    第6回 偶然の文学/偶然と文学(まとめ)

     

偶然の文学/偶然と文学——物語における作為性は克服できるか?〔日本近代文学論〕

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