ハイデガー『存在と時間』を読む[死、時間、歴史編]

開講期間: 2024年09月27日 2025年01月24日

9/27、10/25、11/22、12/20、1/24(すべて金曜日)の19:00〜20:30

発展★☆☆

講義の開催が決定しました

講義回数5 回

受講料9,800 円

受講者数32(最低開講人数: 3)


内容紹介

この講座では、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)の『存在と時間』(1927)の重要な箇所を読んでいきます。『存在と時間』はハイデガーの主著であり、「存在とは何か」、「自己とは何か」といった哲学の根本問題に関して彼独自の思想を展開した、哲学史上重要な著作の一つです。本書を読み、哲学的思考に触れることが、ご自身の直観や思考を深く掘り下げていくきっかけになればと思います。

授業は、毎回こちらでピックアップしたテーマに焦点を当て理解を深めていきます。こちらである程度要点を整理した上で、参加者で軽く意見交換をしてみたいと思います。必ずしも事前に読む必要はありませんが、部分的にでも読んできていただいたほうがより理解が高まるかと思います。苦手な人は聞いているだけでも大丈夫です。

また各授業の前後1週間に、Google Classroomを使って前回と次回の範囲についての質問やコメントを受け付けます。適宜利用してください。ただし、必ず回答できるとは限りませんので、その点のみご了承ください。

※著作権等の都合により、こちらでテキストを配るといったことはできません。各自でご準備ください。テキストがなくても参加は可能です。

※『存在と時間』は邦訳がたくさんありますが、もしどれを選ぶか迷った場合は、ハイデガー『存在と時間』Ⅰ-Ⅲ、原佑・渡邉二郎訳、中公クラシックスをお薦めします。

※本講座は「ハイデガー『存在と時間』を読む[自己と世界編]」の続編となります。初回で[自己と世界編]の要点を振り返りますので、[自己と世界編]を受講されていない方でも受講可能です。より詳しく知りたい方は[自己と世界編]のアーカイブ受講をご検討ください。


各回内容

第1回 ハイデガーとは誰か、自己とは何か
箇所:『存在と時間』第一部第一編第一章9節、第二章12節、第五章28-31,35,38節
キーワード:自己(現存在、実存、世界内存在)、被投性(事実性)、企投(可能性)

「死、時間、歴史編」第1回は、ハイデガーの思想の哲学史上の位置づけと、ハイデガーが自己存在をどのように捉えていたかについての確認から始めたいと思います。(「自己と世界編」を受けていただいていた方には復習として利用していただければと思います。)
ハイデガーはしばしば20世紀最大の哲学者とも呼ばれ、『存在と時間』を初めとした独自の存在論のインパクトにより教育、建築、精神医学等、様々な他分野に影響を与えました。
そうしたハイデガーは自己を、「現存在」、そして「世界内存在」として捉えていました。現存在とは存在が現れる場としての自己を意味します。世界内存在とは、世界は世界、自分は自分というように分離可能ではなくて、自己は世界に如何ともしがたく関わってしまっているということ、それがむしろ自分であるということを構成しているということです。
自己は、こうした世界内存在として、気付いた時には既に生まれた状態、つまり自ら意志したのではないにもかかわらず世界の内に投げ込まれているという事実の中にあり、これを「被投性」と言います。他方で、自己はこうした状況の中で、自らの、そして世界の可能性を開いていくという側面を持ちます。これを可能性の「企投」と言います。被投性と企投は結びついていて分離できず、企投はつねに被投的企投であるという構造をしています。この被投的企投がハイデガーの人間観、存在論を理解していく上で重要になってくるので、初回でまずこの点を確認できればと思います。

第2回 死とどう向き合うべきか
箇所:『存在と時間』第一部第二編第一章45-50節
キーワード:死、終わり、不安、代替不可能性

第2回では、第1回のハイデガーの自己論の内容を踏まえ、ハイデガーが自己の存在構造との関連において死をどのように捉えていたかについて学んでいきましょう。
ハイデガーは死を、人間存在である限りいかんともしがたく、いつ生じてもおかしくない可能性として、絶えず自己の存在を構成するものとして捉えていました。それは、言い換えれば、死を「最も固有の、没交渉的な、最も極端な、確実な、無規定的な可能性」として描いたことに表れています。例えば、死が「最も固有の可能性である」ということは、死は他の誰にも代わることができない、個人個人にそれぞれ固有の可能性としてあり、それは裏返せば、そもそも個人の生がそれぞれに固有の、代替不可能なものであることを意味しています。つまり死の可能性という、生物として不可避的である現象に向き合うことが、かえって自らの生を生き生きとしたものとして捉え直すことに繋がるという考え方だと言えます。
こうしたハイデガーによる死の解釈について、該当箇所を参照しつつ説明していきます。みなさんがご自身の死生観について改めて考えを巡らすきっかけになればと思います。

第3回 本来的自己、自己存在の根拠の無さ
箇所:『存在と時間』第一部第二編第一章51-53,54-60節
キーワード:頽落、本来的自己、良心、選択、責め、根拠

第3回は、第2回で見た死生観が本来的自己への変容とどのように関連するかに焦点を当てて議論していきましょう。
ハイデガーによれば、私たちは日常的には社会の一員として「ひとが楽しむように楽しむ」というように、ある程度平均的、一様であることを求められて生きています。それにより各自の実存的な決断や選択を「世人」に肩代わりされ、固有の自己を喪失させられている側面があると言えます。
他方、そうした大衆化の波から引き戻される瞬間はあり、そのきっかけの一つが、死の可能性に関する不安に襲われ、自己存在の固有性と向き合った時であるとハイデガーは考えます。私たち人間は、社会において他者によって代替可能な役割を担いながら生きていますが、他方で他者によっては代替不可能な個人でもあります。
そうした自己の固有の存在に向き合う時、自らの存在、生死にはコントロールしきれないという側面があること、またそうした有限性は、考えてみれば、誕生時から、自ら意思したわけではなくこの世界に投げ込まれる(被投性)という仕方で存在し始めたということと連関している、といった存在の不思議に私たちは遭遇します。
そうして「なぜ私は存在しないのではなく存在しているのか」と問う時、われわれは本来的自己へと変容しているのではないかだろうか。これがハイデガーの主張のポイントの一つであると言えます。

第4回 存在と時間はどう関連するか
箇所:『存在と時間』第一部第二編第四章65-68節
キーワード:時間、将来、既在性、有限性

第4回ではハイデガー独自の時間論について、第3回までの存在論と関連させつつ議論していきます。
時間は、時計などの機器を通して、数量的に測定されうる均一化された今の連続として了解されることが常です。そうした「今・時間」においては、人間との連関、つまり誕生と死及び過去や未来との連関が捨象されているため、時間は始まりも終わりも持たず無限であり、眼前存在するかのように捉えられます。
しかし、私たちは自らの有限性を引き受け直し、もはや世界の内に存在しえず時間を持つことができないという可能性(死)が了解されるならば、世界の内に投げ込まれ、時間を与えられたという自らの現事実性(誕生)も理解され、自らの存在と時間を自ら掌握しきっているのではなかったという事実が明らかにされます。
このように過去、現在、未来はそれぞれに分離独立して存在するわけではなく、またその順番通りに常に存在しているわけでもなく、未来の捉え方、人間のあり方によって過去、現在のあり方が変容し、そのつど生じるような、そうした時間の捉え方をハイデガーは提案しています。つまりそれは、客観的に流れ去っていく無機質な時間の捉え方とは対比的に、人間の存在と密接に関連したものとして時間の流れを再考するという試みであると言えます。
このように自己存在と連関している時間は過去、現在、未来ではなく、将来、既在性、現在という不可分な三つの契機から成っています。そうした、そのつど生成変化する時間という捉え方について一緒に考えてみましょう。

第5回 歴史はどのように生じ、哲学はどのように伝承され、切り開かれるか
箇所:『存在と時間』第一部第二編第五章72-75節
キーワード:歴史、遺産、反復、解体

最終回では、第4回で扱ったハイデガー独特の時間論に基づき、人間の実存と思想の歴史、すなわち哲学史がどのように形成されていくのかについて議論します。
ハイデガーの考えでは、歴史とは過去に起こった出来事の総体ではなく、究極的には私たちが今生きていること自体であると言えます。それは、私なりの解釈では以下のような歴史の捉え方です。亡くなった先達たちはもはや今生きている私たちと同じように存在するわけではないけれども、その個人が生前に描いていた世界、その諸可能性が完全に消滅してしまったわけでもない。故人が描いていた世界は、遺された人々を構成する諸可能性として尚も存在している。こうした先達たちの固有の世界、実存、思想が、この世界の「遺産」として現代を生きる私たちに伝承されていく。その伝承は、単なる類似の人生の反復としてではなく、伝承されたものを解体し、批判する中から新たな可能性を見出すこととして、その人独自の選択としてなされていく。そうした私たちの現在の実存が、歴史の運動そのものであるということ、この点について、哲学史上の影響関係なども参照しつつ議論し、哲学の問いの新たな開拓はどのようになされていくかについて考えていければと思います。

※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。一部の回に参加のご都合がつかない場合も、見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブの視聴可能期間は、講座終了から1年間です。


◆受講の流れ◆

1. お申し込み

2. 開講&受講の決定

3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス

◦リアルタイム授業への参加URLは、受講決定時に自動送信されるメールに記載されている他、マイページ内「ダッシュボード」からもご確認いただけます。

◦講師とのやりとりや資料の配付はGoogle社が提供する学習管理アプリケーション「Googleクラスルーム」から行います。クラスルームにつきましては、受講決定時に別途招待メールが届きますので、そちらからご参加ください。

◦アーカイブはマイページ内「受講状況」からご覧いただけるほか、本ページ下部の「授業スケジュール」およびクラスルームからもご覧いただけます。

◦ディセミネでの初回受講時に送られる招待メールを承認することで、Googleカレンダーと自動で同期が可能です。是非ともお使いください。

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授業予定

第1回 2024年9月27日(金)19:00〜20:30
ハイデガーとは誰か、自己とは何か

第2回 2024年10月25日(金)19:00〜20:30
死とどう向き合うべきか

第3回 2024年11月22日(金)19:00〜20:30
本来的自己、自己存在の根拠の無さ

第4回 2024年12月20日(金)19:00〜20:30
存在と時間はどう関連するか

第5回 2025年1月24日(金)19:00〜20:30
歴史はどのように生じ、哲学はどのように伝承され、切り開かれるか

[自己と世界編](終了)
第1回 自己とは何か
第2回 世界とは何か
第3回 他者、世間とは何か
第4回 自己(世界内存在)の詳しい構造
第5回 無について

[自己と世界編]のアーカイブはこちら
https://disseminer.jp/courses/19

※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。

こんな人におすすめ

この講義では、ハイデガー『存在と時間』を、飛び飛びにポイントをしぼって読んでいきます。
『存在と時間』は、哲学の根本問題である「存在とは何か」という問いに正面から取り組んでいる重厚な著作でありながら、初学の方にも比較的入りやすい身近な内容を含んでいます。
そうした取り組みやすい箇所を選んで読んでいくので、哲学を初めて学ぶ方でも歓迎です。

講師情報

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中川萌子

1987年仙台市生まれ。京都大学総合人間学部卒、同大学院博士後期課程修了。
専門は哲学(存在論、実存主義)および医学、生命倫理学。

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授業スケジュール

  • 2024年09月27日 19:00 〜 20:30

    第1回 ハイデガーとは誰か、自己とは何か

    参加可能人数: 無制限
     
  • 次回開催

    2024年10月25日 19:00 〜 20:30

    第2回 死とどう向き合うべきか

    参加可能人数: 無制限
     
  • 2024年11月22日 19:00 〜 20:30

    第3回 本来的自己、自己存在の根拠の無さ

     
  • 2024年12月20日 19:00 〜 20:30

    第4回 存在と時間はどう関連するか

     
  • 2025年01月24日 19:00 〜 20:30

    第5回 歴史はどのように生じ、哲学はどのように伝承され、切り開かれるか

     

ハイデガー『存在と時間』を読む[死、時間、歴史編]

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