長坂真澄

哲学——特に独仏現象学、宗教哲学


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京都大学、京都大学大学院、トゥールーズ大学(フランス)、ルーヴァン・カトリック大学(ルーヴァン・ラ・ヌーヴ、ベルギー)、ヴッパータール大学(ドイツ)の大学院で学んだ後、2013年、フランスの哲学者ジャック・デリダについての博士論文により、哲学の博士号をフランスで取得、2016年から日本の大学で西洋哲学の研究教育に携わる。

群馬県立女子大学文学部准教授、早稲田大学国際教養学部准教授を経て、現在は早稲田大学国際教養学部教授。専門はドイツ、フランスの現象学、宗教哲学。ラズロ・テンゲリの影響のもと、現象学を形而上学の歴史の中で捉え直す研究を行っている。

フランスにおけるドイツからの現象学受容の背景には、ロシア語圏の哲学者(レオン・シェストフ等)も大きくかかわるため、ロシア語の文献も研究対象に含む。

メッセージ

チュニジアの首都チュニスに滞在していた頃、マリアムという高校生の少女から、次のような質問を受けたことがあります。

アラビア語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、その他のヨーロッパの言語でも、単語と単語の間には空白の空間があり、どの文字からどの文字までが一つの単語をなすのかが、わかるようになっている。ところが、あなたが読んでいるその日本語の本のページには、文字が空白なく連なっている。その文字の羅列の中でどうやって、一つ一つの単語を見分けるのか、と。

それでわかったのは、彼女にとって、日本語の文字の羅列は、多かれ少なかれ複雑に絡まり合った描線、ページの上に配置された無意味な模様のようなものでしかない、ということです。私に見えているものが、同じページを見ている彼女には、見えないのです。

文字は、とりわけ異国の見知らぬ文字は、暗号の図柄のように見えます。それは空間を一定の形で占めていますが、それ自体は無音で、無意味で、かなり複雑であるということをのぞけば、唐草模様のようなものです。

しかしその言語を学べば、無音の文字から音が聞こえてくるようになり、無意味の図柄から、あるいは無意味だった音の連なりから、意味がたち現れてきます。さらにはその文字の背後で語り手たちが動き出し、様々な感情を表現し、読者には、彼らの思想や人格まで見えてくるようになります。

空間に固定され、動くことのない描線。読まれなければ、何の意味も持たない凝固した図柄。そうでありながら、読む者が解読する時間の中で、それは動き出し、流れ出し、生きられます。

慣れない言語での読書には、はじめのうちは、時間がかかります。しかしその時間を通して、また私たち読み手の想像力を通して、無音が音に、無色が色に、無意味が意味へと転じます。そのような転換の瞬間の数々を、講座を通じて体験していただければと思います。

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