医療・福祉・教育・司法の現場で働く人のための哲学 ——「わたしの仕事」の見え方を変える思考の道具
開講期間: 2026年3月2日 〜 2026年5月11日
隔週月曜日19:30-21:00
難易度: 入門〜中級※ 難易度についてはこちらを参照ください。
内容紹介
しかしながら、ともするとその商売道具は惰性化してしまう危険性をはらんでいます。昨日もやっていたから今日もやっている、というふうになってしまいがちです。自分が何をしているのか細部まで言語化されないままに運用されます。そういうときに哲学書の中に出てくる抽象概念は、自分の使い慣れた商売道具を点検したり、磨きあげたりする「道具のための道具」になりえるのです。
この講座では、医療・福祉・教育・司法の現場で働いている人、そしてこれから現場で働こうと思っている人たちに向けて、哲学の抽象概念を単なる理論の理解に留まらず、日々の仕事を点検し直すための実践的な道具として現場へ活かす方法をお伝えします。2回目から5回目までの講座で、講師自身が対人援助現場で行ってきた試行錯誤を具体例として示します。その具体例を、点検のための道具の一例として受けとっていただければ、受講者自身の商売道具である言葉や身体の技術を点検してもらえるかもしれません。また各回、30分ほどはディスカッションの時間を設け、講師と受講者のみなさまの守秘義務を超えない範囲内で一緒に考えたいと思っています。
哲学はしばしば、社会課題や科学技術を広い視野の中で捉え直したり、現在進行形の政治の動向を相対化したり、歴史の中に埋もれている人の人権や生きた証を肯定するための〈マクロ・望遠鏡視点の思考〉として語られます。哲学だけでなく、とりわけ倫理学ではそうでしょう。それらはたしかに重要な哲学と倫理学の役割ですが、しかし、それは対人援助の現場で日々生じる行き詰まり感や徒労感や倦怠感に対して直接的な手応えを与えてくれるものではありません。
本講座が扱うのは、もっと身近で、目の前で起こっているがゆえに小さすぎて見えなくなっているものに活かせる〈ミクロ・顕微鏡視点の思考〉としての哲学です。その哲学は、些細に思える「わたしの(あなた自身の)仕事」のなかに、これまで自分でも考えてもいなかった新しい意味を見出すための道具になりえます。たとえば、同僚に気をつかって疲弊していたり、業務上仕方なく報告書や計画書を書いていたり、利用者の無理難題に巻き込まれてにっちもさっちもいかなくなったりしながら、おそらく、拘束されている8時間の半分以上は本来やるべきこととは関係のないもの(のように思われるもの)に埋もれてしまっている仕事。そんな些細な仕事に新しい意味を見出す道具として、哲学の抽象概念を使うのです。
講師は、哲学を研究したのちに臨床現場に入り、現在も対人援助職者として働いています。その経験を素材にして、自分が学んできた哲学をどう現場で使ってきたのか、自分の身体や言葉をどう点検してきたのか、その具体例を提示したいと思います。その上で、受講者にも、たくさんの細部をもつ「わたしの仕事」を点検し、それらを新しく見えるようにする以下のような視点を獲得してもらいたいと思っています。
・いつの間にか固定化している身体の使い方の中にある、自分の固有性に気づける
・惰性で書いている報告書や計画書を、別の角度から捉えられるようになる
・「ただこなしているだけ」の業務の中に、新しい意味づけの手がかりを見出せる
・見過ごしていた些細な出来事に「あれは何だったのだろう」と振り返って考える視点を持てる
最終的に受講者の好きな抽象概念を、自分自身の思考過程の中で仕事に活用するようになってもらえれば幸いです。
授業予定
第1回 哲学者が対人援助現場で働くと見えてくるもの講師は大学院で哲学の研究をした後二度目の大学院に入り直し、臨床心理士の資格をとり、約13年間その資格の需要がある職場をかけもちして働いてきました。しかし働いている最中でも臨床心理士であるというより哲学者であることは変わらず、職場や対象者から求められることに応じつつも、頭の中で考えていたことは別のところにありました。その別のところの話をします。講師が伝えようとしている〈ミクロ・顕微鏡視点の思考〉としての哲学がどういうものなのか、具体的に掴んでもらおうと思います。
講師の経験談を聞いてもらいながら、受講生には、「自分でも似たようなことがあった」とか「いや自分の場合はこうだった」といった自身の経験を思い出していただいたり、「現場が違うとそういう見え方をするのか」「そんなふうに仕事に取り組むことができるのか」と自分のやっていることを少し俯瞰的に眺めてもらいたいと思います。
第2回 わたしの身体を経由させて「みんな」の欲望に接続させるー児童発達支援の例ー
第2回では、児童発達支援の現場を例に、支援者自身の「身体」がどのようにして子どもたちの欲望や関係性をひらいていくのかについて、精神分析の概念を手がかりに考えます。
具体例の一つとして、講師が働いてきた児童発達支援施設での経験をお話しします。守秘義務があるので対象児童の話はできませんが、わたしの経験を抽象化させつつ、そこに精神分析の概念を応用させていきます。誰もがひとつずつ持っていて数十年の歴史を積んだ自分の身体に対して、それが利用者を前にしたときどのように機能しているか、という視点で振り返る機会になると思います。
「みんな」の欲望へ接続する、というのは、ある子どもが自分以外の子や大人の所有物や行動を把握し、「自分もあれが欲しい」とか「自分もあれがしたい」とかと思うことです。そんなのはあえてとり上げるものではない当たり前のことだと思うかもしれませんが、児童発達支援に通うお子さんにとっては当たり前のことではありません。しかしそれは教わるものでもなく導かれていくものです。では、どのように導かれるのか?支援者の身体が持っている固有性や傾向性が、自己の中で完結した遊びをする子どもの中に「自分もしたい」を生み出すポテンシャルを持っているのです。
受講者にも、自分の身体が持つポテンシャルについて考える機会を持ってもらえるでしょう。
第3回 村上靖彦『自閉症の現象学』の概念を修正しながら現場で使う
第3回では、対象者の身体を前にしたときに生じる支援者自身の感情や雰囲気に着目します。村上靖彦『自閉症の現象学』と内海健『自閉症スペクトラムの精神病理』を手掛かりに、それをどのように言葉にし、現場で考える手がかりにできるのかを探ります。
現場で出会うASD児はどういう「特性」をもっているのか、ではなく、ASD児と出会うとはいかなる経験なのか、という問いを掘り下げます。つまり相手の分析ではなく、対人援助職者自身の分析です。村上は療育施設で参与観察を行っていたときの経験を次のように振り返っています。「自閉症児と出会ったときには、ある特定の感覚が生じる。相手と私のふるまいの違いが、『ずれの感覚』として直接経験される」と。たしかにそうですが、この「ずれの感覚」を掘り下げるとさらにどう言語化できるのか考えたいと思います。
第4回 カルテやケア記録や事例記述を短編私小説のように書いてみる
第4回と第5回は自分の言葉に目を向け直します。第4回では、日常業務として書いている記録を、あえて一人称の視点で書き直すことで、対人援助の現場における「書くこと」と「仕事をすること」の関係を見つめ直します。講師の実例を参照しつつ、現場で言葉をどう使い、それを点検するか、検討していきます。
対人援助職者が業務として何かを書かないといけない場面はいくつもあります。が、対人援助職の方で「自分には日本語能力がない」と思っている方は多くいるようです。その点、研究歴があるといわゆる「文章力」が異常に発達しますが、一方で異常に偏っているとも言えます。そのような偏った視点から見ると、対人援助職者にとって、自らが経験したことを書くということはいかなる意味をもつことなのか、という問いが生まれます。
通常業務として記録されるものは、対象者が口にした言葉(に近いもの)と客観的情報(と思われるもの)を中心にした箇条書きがほとんどです。ですが、自分の業務を、一人称視点で記録したらどうなるでしょうか?いわば短編の私小説のように自分が見聞きしたものを書いてみるのです。たとえば、「睡眠時間2時間減少、中途覚醒あり、その他特変なし」という記録から、「私はタツ兄のいつもより少しだけ冴えた目に一抹の不安を感じた。言葉をかけようにも、どの言葉も薄っぺらく感じ、飲み込んだ」という記録へ変更した場合、自分の仕事の見え方はどう変わるでしょうか?当然業務中にそのような記録をつけると上司から修正させられます。ですが、業務から離れたときに、そういう視点をとって書いてみると自分が持っている言葉の性質に気づき、言葉にすることと仕事をすることの関係を柔軟に見返す機会が与えられるはずです。
講師が書いた私小説風の記録を具体例にして、受講者のみなさんと一緒に考えたいと思います。
第5回 アクシデントレポートを推理小説のように書いてみる
第5回では、アクシデントレポートを題材にして、ある帰結をもたらす一連の出来事を書いてまとめるという行為が、対人援助職にどのような思考力を要求しているのか考えます。 アクシデントレポートは、事故報告書とかインシデントレポートとか、ヒヤリハットなどと呼ばれることもあります。
すべての従業員が書きたくないものの代表的なものであり、かつ、対人援助の仕事とは切っても切れない必須の書きものでもあります。これは、講師が現場で働いていて哲学的に最もおもしろいと思った業務のひとつでもありました。他の記録と決定的に違う点は、「どこで」の答えになる記述が必要になるということ、「なぜ」の答えになる出来事の因果関係を書かないといけないこと、です。このレポートには、対人援助職者に必須となる「聴く力」ではなく、多くの人が苦手意識を持つメタ視点で「まとめる力」が求められます。
この「まとめる」力は、関係者ではないモデル読者を想定し、アクシデントという決定的出来事が起こる極小の世界の歴史と地理(ノンフィクションの設定)を思い描き、複数のキャラクターを登場させ、そして、特定できない謎をぼやかしつつ、理解できないものをとりあえず理解する能力、だと講師は考えています。しかも、数行でこれをこなさなければならないのです。
この回では、自分が経験したことを書くことの奥深さを受講者と一緒に発見したいと思います。
第6回 わたしの身体とわたしの言葉を使う仕事
最終回では、全体のふりかえりをします。医療・福祉・教育・司法にとっての「道具のための道具」としての哲学をまとめたいと思います。最終的に、受講者のみなさんが日々使っている身体や使い慣れた言葉に目を向け、惰性化してしまいがちな「商売道具」を点検できる視点を持ってもらうことを目指します。
※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。リアルタイムで授業に参加できない場合も見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブ動画は、最低1年間視聴可能です。
◆受講の流れ◆
1. お申し込み↓
2. 開講&受講の決定
↓
3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス
◦リアルタイム授業への参加URLは、受講決定時に自動送信されるメールに記載されている他、クラスルーム(下記)、マイページ内「ダッシュボード」からもご確認いただけます。また、各授業日の2日または3日前にリマインダーメールをお送りいたします。
◦講師とのやりとりや資料の配付、講座に関する運営からのお知らせ等は、Google社が提供する学習管理アプリケーション「Googleクラスルーム」から行います。クラスルームにつきましては、受講決定時に別途招待メールが届きますので、そちらからご参加ください。
◦クラスルームの使い方についてはこちらをご覧ください。
◦アーカイブはマイページ内「受講状況」からご覧いただけるほか、本ページ下部の「授業スケジュール」およびクラスルームからもご覧いただけます。
◦ディセミネでの初回受講時に送られる招待メールを承認することで、Googleカレンダーと自動で同期が可能です。是非ともお使いください。

授業予定
哲学者が対人援助現場で働くと見えてくるもの
第2回 2026年3月16日(月)19:30〜21:00
わたしの身体を経由させて「みんな」の欲望に接続させるー児童発達支援の例ー
第3回 2026年3月30日(月)19:30〜21:00
村上靖彦『自閉症の現象学』の概念を修正しながら現場で使う
第4回 2026年4月13日(月)19:30〜21:00
カルテやケア記録や事例記述を短編私小説のように書いてみる
第5回 2026年4月27日(月)19:30〜21:00
アクシデントレポートを推理小説のように書いてみる
第6回 2026年5月11日(月)19:30〜21:00
わたしの身体とわたしの言葉を使う仕事
※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。
こんな人におすすめ
教育現場で働いている小・中・高校教諭、養護教諭など
医療現場で働いている医師、看護師、保健師、ソーシャルワーカー、OT、PT、ST、CPなど
福祉現場で働いている看護師、介護福祉士など
司法現場で働いている弁護士、裁判官など
基本的には、商品を媒介とせず(補助手段としては物も使うが)、今自分が持っている知識や知恵で生身の他者と向き合うことを商売道具としている人、におすすめです。
講師情報

授業スケジュール
次回開催
2026年3月2日 19:30 〜 21:00
第1回 哲学者が対人援助現場で働くと見えてくるもの
参加可能人数: 無制限2026年3月16日 19:30 〜 21:00
第2回 わたしの身体を経由させて「みんな」の欲望に接続させるー児童発達支援の例ー
2026年3月30日 19:30 〜 21:00
第3回 村上靖彦『自閉症の現象学』の概念を修正しながら現場で使う
2026年4月13日 19:30 〜 21:00
第4回 カルテやケア記録や事例記述を短編私小説のように書いてみる
2026年4月27日 19:30 〜 21:00
第5回 アクシデントレポートを推理小説のように書いてみる
2026年5月11日 19:30 〜 21:00
第6回 わたしの身体とわたしの言葉を使う仕事
医療・福祉・教育・司法の現場で働く人のための哲学 ——「わたしの仕事」の見え方を変える思考の道具
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