知の「正しさ」を問う——近代哲学の精髄・認識論を学ぶ
開講期間: 2025年2月14日 〜 2025年5月2日
隔週金曜日20:00〜21:30
入門★★☆
内容紹介
わたしたちは「あなたの意見は主観的だ」とか「科学の理論は客観的だ」とか言います。夢と現実についても、わたしたちは夢を主観的なもの、現実を客観的なものと考えるかもしれません。そして、「主観的」と「客観的」は、どれほど多くのデータにもとづいているかという点や、どれほど多くのひとにとって納得がいくかという点で区別できるかもしれません。しかし、そもそもデータとはなんなのでしょうか? また、多くのひとが正しいと思っていることが本当に正しいと言えるでしょうか?
哲学の部門のひとつに認識論(知識論)というものがあります。認識論とは、簡単に言うと、「わたしたちがもっている知識は正しいのか」を探究する分野です。わたしたちは日々、哲学者・科学者であろうとなかろうと、さまざまな知識を生み出しています。たとえば、「これは夢ではなくて、現実であるにちがいない」や「この不景気にはなにか原因があるにちがいない」というのも、そうした知識のひとつにほかなりません。認識論は、「そもそも正しい知識は存在するのか」、「知識の正しさとはなんであるのか」などと探究するのです。
哲学者たちはこのような問いについて、本気で考え、答えようとしてきました。「夢か現実か」や「知識は正しいのか」なんて考えるのは子どもかモノ好きだけだと思われるかもしれません。しかし、じつのところ、この問いはけっして取るに足らないものではありません。なぜなら、わたしたちの知識が正しくないのであれば、わたしたちは安心して生きていくことができないからです。もしメディアの報道が正しくないならば、どの候補者に投票すればいいのかわかりませんし、もし医学が誤っているならば、自分のかけがえのない体を医師に委ねることはできないでしょう。そのような意味で、認識の問題はわたしたちにとって「致命的」なものなのです。
もう少し身近なことがらで考えてみましょう。世の中には、ありとあらゆるものごとについて知り尽くしているかのように振る舞っているひとや、「この世界の裏側にある真実」なるものを伝えるひとが溢れかえっています。そのようなひとが「こうすれば成功できる!」と言っていたり、「このパンデミックの裏側には陰謀がある」と言っていたりすると、信じてみたくなってしまうかもしれません。そのようなひとたちの言動は、多くの人々の興味を惹く強い訴求力がありますし、そしてなによりも、わたしたちはものごとの「理由」がわかると安心しがちです。
しかしながら、「こうすれば成功できる!」という言葉を信じて、実際に成功できたひとはどれほどいるのでしょうか? わたしたちはだれの、どのような言葉を信じればよいのでしょうか? 学問でしょうか、メディアでしょうか、それとも自分自身でしょうか? 現代は、多様な生き方や性のあり方という〈ひとそれぞれ〉を尊重する素晴らしい時代になりつつあります。しかし、その一方で、だれもが「たしかにそうだ」と思えることのない不確かな時代でもあります。このような時代であるからこそ、あらためて認識の問題について徹底的に考え尽くすことが必要不可欠なのです。
実際、近代の哲学においては、この認識の問題がもっとも重要な課題になりました。哲学が誕生した古代ギリシャにおいては、すでに、ソフィスト(職業的知識人)と呼ばれるひとたちが、「わたしたちは本当のことを認識することはできないし、そもそも本当のことなど存在しない」と主張していました。しかし、このようないわゆる「相対主義」と呼ばれる考え方に対抗する古代の哲学者たちは、認識の問題をうまく解決することができなかったのです。(もっと言うと、「わたしたちは本当のことを認識することはできない」というのもひとつの知識ですから、それすら正しくないのであれば、わけのわからないことになってしまうのです。)
近代の哲学・科学の父と呼ばれるルネ・デカルトは、この認識の問題を徹底的に探究しようとしました。かれの著書『省察』から引用してみましょう。
すでに数年前に私はこう気づいていた。子供のころから私は、いかに多くの偽なるものを真なるものと認めてきたことか。そして、その後その上に築いてきたものが、どれもこれもいかに疑わしいことか。それゆえ、私がもし学問においていつか確固として持続するものをうち立てようと思うなら、一生に一度はすべてを根底からくつがえし、最初の基礎から新たに始めなければならない、と。(山田弘明訳、筑摩書房、34頁)
それほどむずかしいことをかれは言っていません。わたしたちの学問的な知識というひとつの建物が本当に正しいかどうか疑わしい。だから、その建物の基礎となっているものから疑って、本当に正しいと言える知識の基礎を探求しようというわけです。
この講座では、以上のような、わたしたちの知識の問題を探究してきた近代の認識論について紹介、解説します。近代の認識論においては、理性を重視する大陸合理論と経験を重視するイギリス経験論、そしてイマヌエル・カントの批判哲学が代表的ですが、今回の講座では、大陸合理論からはデカルト、イギリス経験論からはジョン・ロックとデイヴィッド・ヒューム、そしてカントを取り上げる予定です。どれもご存知でなくても、問題ありません。
デカルトは、まさに「夢か現実か」という問いから出発します。そこから、まず、「夢か現実か」と疑っているわたしの存在は確実であると結論づけます。これがあの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り(コギト・エルゴ・スム)」です。そして、さらに、神の存在を証明し、わたしたちの知識の正しさの条件を提示するのです。どうしてわたしの存在は確実であると言えるのか、デカルトがどのようにして神の存在を証明しようとしたのかを見ていきます。
デカルトら大陸合理論の哲学者たちは、わたしたちが理性という推理の能力によって本当に正しいことを知ることができると主張したのに対して、イギリス経験論の哲学者たちは、それを批判し、わたしたちは経験によってしかものごとについて知ることができないと主張します。つまり、実際に見たり、聞いたりしたことしかわからない、というわけです。わたしたちは自分の理性や経験を本当に信じるべきであるかどうかを考えていきます。
カントは、大陸合理論とイギリス経験論がもつ各々の長所と短所を見抜いたうえで、わたしたちがどこまで本当のことを知ることができ、知ることができないかを見極めようとします。カントの批判哲学のおもしろさは、それが、わたしたちの知識の仕組みを理解することは、わたしたちの世界の仕組みを理解することにほかならないと考える点にあります。カントの批判哲学を理解することはとてもむずかしいですが、カント以後の哲学を理解するためにも不可欠です。近現代哲学の基礎となっているカントの批判哲学をマスターしましょう。
※本講座は続編として「現象学」に関連する講座の開講を予定しております。内容の理解のためには継続的な受講をおすすめいたします。
続編講座「自己と向き合うための哲学:現象学的思考の力を身につける」(予定)
第1回 近代認識論を振り返る
第2回 やっぱりぜんぶ夢ってこと?:フッサールの現象学(1)
第3回 楽しみと喜びの現象学:ガイガーの享受論
第4回 わたしが世界を組み立てる:フッサールの現象学(2)
第5回 運命の現象学:体験談にもとづいて
第6回 わたしらしくあるために:ハイデガーの実存論
※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。リアルタイムで授業に参加できない場合も見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブの視聴可能期間は、講座終了から1年間です。
◆受講の流れ◆
1. お申し込み↓
2. 開講&受講の決定
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3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス
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◦ディセミネでの初回受講時に送られる招待メールを承認することで、Googleカレンダーと自動で同期が可能です。是非ともお使いください。
授業予定
もしかしたらぜんぶ夢かもしれない:デカルトの懐疑(1)
第2回 2025年2月28日(金)20:00〜21:30
わたしにとっての世界とあるがままの世界:デカルトの懐疑(2)
第3回 2025年3月14日(金)20:00〜21:30
五感と思考はどちらが正しいのか:イギリス経験論
第4回 2025年4月4日(金)20:00〜21:30
なぜ「すべてに原因がある」と言えるのか:カントの批判哲学(1)
第5回 2025年4月18日(金)20:00〜21:30
わたしたちが知ることのできること、できないこと:カントの批判哲学(2)
第6回 2025年5月2日(金)20:00〜21:30
現象学へのバトンタッチ
※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。
こんな人におすすめ
常識にとらわれている人、不信感をもっている人
自分の力でものごとについて考えられるようになりたい人
講師情報
授業スケジュール
次回開催
2025年2月14日 20:00 〜 21:30
第1回 もしかしたらぜんぶ夢かもしれない:デカルトの懐疑(1)
参加可能人数: 無制限2025年2月28日 20:00 〜 21:30
第2回 わたしにとっての世界とあるがままの世界:デカルトの懐疑(2)
2025年3月14日 20:00 〜 21:30
第3回 五感と思考はどちらが正しいのか:イギリス経験論
2025年4月4日 20:00 〜 21:30
第4回 なぜ「すべてに原因がある」と言えるのか:カントの批判哲学(1)
2025年4月18日 20:00 〜 21:30
第5回 わたしたちが知ることのできること、できないこと:カントの批判哲学(2)
2025年5月2日 20:00 〜 21:30
第6回 現象学へのバトンタッチ
知の「正しさ」を問う——近代哲学の精髄・認識論を学ぶ
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