「他者」とは何か——エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から考える
開講期間: 2024年11月11日 〜 2025年2月10日
隔週月曜日20:00〜21:30
入門★★★
内容紹介
私たちはいつも自分とは異なる存在に囲まれて生きています。家族や友人といった身近な人から、クラスメイトや同僚、レストランやカフェの店員、同じ電車に乗り合わせただけの人、道ばたですれ違う見知らぬ人など、他人を一切目にすることなく生活をすることは不可能であり、また、たとえ自分の部屋に一人でいるときであれ、自分以外のさまざまな物品にかこまれています。食事や点滴などによって自分とは異なるものを体内に取り入れることなしにはそもそも生命を維持することさえできません。ある意味で私たちの存在は自分とは異なる〈他者〉によって支えられているのです。したがってこの「他者」を問うことは、人間の存在を問うことにほかなりません。
それにもかかわらず、20世紀にいたるまで、哲学の世界ではこの「他者」が主題的に論じられることはほとんどありませんでした。どこかに存在する永遠不滅の存在や真理、同一的にとどまるとされる主観性、普遍にいたる能力としての理性といった「同一的なもの」を中心に哲学は構築されてきたからです。
しかしながら、とりわけ20世紀の後半以降、哲学はそれとは異なる思考のありようを探求するようになりました。「差異」や「変化」ないし「生成」、「他者」といった従来ほとんど顧みられなかった、あるいは周縁にとどめられてきた事柄を思考しなおすことで、哲学のありようそのものを変えるような思想がいくつも生まれてきました。
そこには二度にわたる世界大戦と、それに関連した絶滅収容所や原子爆弾の経験が大きく作用したことはおそらく間違いありません。従来のカテゴリーでは理解や説明のできない現実に直面し、いわば思考そのものを問いなおすことが重要な課題となったのです。20世紀後半に植民地主義に対する批判的再検討や女性を含むさまざまなマイノリティの地位向上といった動きが大きく生じてきたのは、この意味で決して偶然のことではありません。
本講座で取り上げるのは、この20世紀後半のフランスを代表する哲学者であるエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)です。レヴィナスは現在のリトアニア(当時はロシア領)に生まれたユダヤ系の思想家であり、その出自自体がすでにヨーロッパに対する他者の位置におかれています。彼は従来の西洋哲学を、他者を自己へと同一化してしまう「全体性」の思想だと論じ、全体性へと包含されない異質性を「無限」と呼びました。彼の最初の主著とされる『全体性と無限』(1961)は、まさにこの同一化と差異化、自己と他者の関係を主題的に論じたものです。本講座では、この『全体性と無限』を中心に、レヴィナスの他者論を考えていきます。
『全体性と無限』は大著である上に、その全体が非常に抽象的かつ独特の用語法で書かれており単純な理解を寄せつけません。しかしその一方で、レヴィナス自身はかなり具体的な場面を念頭におきつつ書いていたように思われます。彼の抽象度の高い文章を解きほぐしながら、そこで何が問われていたのかを考えていきます。
※テキストは必ずしも用意していただく必要はありません。また他の訳本をすでにお持ちの方はそちらをご使用いただいても問題ありません。ただしページ数の提示などは上記の講談社学術文庫版で行います。
第2回では、レヴィナスが考える「無限」を、彼が源泉としていたデカルトまで遡りつつ考察します。レヴィナスの言う無限の観念とは、自己のうちにありながらも自己の同一性に包含することができないような「他なるもの」のありようです。したがって無限の観念は、私の内にありながらも私を外へと開いてくれる「欲望」として現れ、私を他者へ導く原動力となるものです。
第3回から第5回で、彼の他者性についての議論を確認します。主体はさまざまな他者と出会い、それを取り込むことで発生してくるとともに、他人の「顔」に直面することで倫理的なものへと生成していきます。さらに主体は、自分とは異なる者を求める性愛の中で変貌し、「私は私の子供である」「私の子供は私である」という逆説的なかたちで他なる未来へと開かれていくという彼の論理展開を跡づけます。レヴィナスにとって他人とは倫理的に応答するしかない「絶対的な他者」であるとともに、性愛や子どもというかたちで未来と関係づけてくれるものです。同一性に回収されることなき自己の冒険は、さまざまな困難を克服し家へと帰還するオデュッセウスの冒険譚とも、否定を通じて総合へといたるヘーゲルの弁証法ともするどく対立するものとなり、「他者」の「他者性」をいかにとらえるかという困難な課題を遂行するものとなります。その一方で彼の女性性に関する議論などにはそのままのかたちで受けとることが難しい部分もあり、この講座ではその辺りについても考察する予定です。
第6回では、ジャック・デリダによるレヴィナス論を取り上げます。若きデリダの論考「暴力と形而上学」がレヴィナスに思想的な転回をもたらしたことは広く知られていますが、そこで問われていたものは何だったのか。デリダがレヴィナスの思想に見いだし、また批判せざるをえなかったものは何だったのか考えます。そこには絶対的に他なるものをいかに捉えることができるのかという他者論一般における原理的な困難が見いだされます。
最終回の第7回では、デリダの批判を受けたレヴィナスが、その後どのように思想を展開したのかを確認して講座を終わらせたいと思います。
今日、さまざまなマイノリティや移民といったある意味で分かりやすい「他者」だけでなく、コロナ禍以降さらに加速した仕事形態の多様化などによって、自分とは異なる他者に接する機会は劇的に増えています。そうした他者といかに接するべきか、さらにそこからひるがえって自己とは何かを考えてみることは、倫理や責任といった抽象的な問題を考えるだけでなく、身近な人間関係やコミュニケーションについても再考することにつながります。自分とは異なる他者について思考することは、ますます多様化する現代社会において必須の作業となるはずです。
※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。リアルタイムで授業に参加できない場合も見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブの視聴可能期間は、講座終了から1年間です。
↓
2. 開講&受講の決定
↓
3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス
それにもかかわらず、20世紀にいたるまで、哲学の世界ではこの「他者」が主題的に論じられることはほとんどありませんでした。どこかに存在する永遠不滅の存在や真理、同一的にとどまるとされる主観性、普遍にいたる能力としての理性といった「同一的なもの」を中心に哲学は構築されてきたからです。
しかしながら、とりわけ20世紀の後半以降、哲学はそれとは異なる思考のありようを探求するようになりました。「差異」や「変化」ないし「生成」、「他者」といった従来ほとんど顧みられなかった、あるいは周縁にとどめられてきた事柄を思考しなおすことで、哲学のありようそのものを変えるような思想がいくつも生まれてきました。
そこには二度にわたる世界大戦と、それに関連した絶滅収容所や原子爆弾の経験が大きく作用したことはおそらく間違いありません。従来のカテゴリーでは理解や説明のできない現実に直面し、いわば思考そのものを問いなおすことが重要な課題となったのです。20世紀後半に植民地主義に対する批判的再検討や女性を含むさまざまなマイノリティの地位向上といった動きが大きく生じてきたのは、この意味で決して偶然のことではありません。
本講座で取り上げるのは、この20世紀後半のフランスを代表する哲学者であるエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)です。レヴィナスは現在のリトアニア(当時はロシア領)に生まれたユダヤ系の思想家であり、その出自自体がすでにヨーロッパに対する他者の位置におかれています。彼は従来の西洋哲学を、他者を自己へと同一化してしまう「全体性」の思想だと論じ、全体性へと包含されない異質性を「無限」と呼びました。彼の最初の主著とされる『全体性と無限』(1961)は、まさにこの同一化と差異化、自己と他者の関係を主題的に論じたものです。本講座では、この『全体性と無限』を中心に、レヴィナスの他者論を考えていきます。
『全体性と無限』は大著である上に、その全体が非常に抽象的かつ独特の用語法で書かれており単純な理解を寄せつけません。しかしその一方で、レヴィナス自身はかなり具体的な場面を念頭におきつつ書いていたように思われます。彼の抽象度の高い文章を解きほぐしながら、そこで何が問われていたのかを考えていきます。
★テキスト★
エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』藤岡俊博訳、講談社学術文庫、2020年※テキストは必ずしも用意していただく必要はありません。また他の訳本をすでにお持ちの方はそちらをご使用いただいても問題ありません。ただしページ数の提示などは上記の講談社学術文庫版で行います。
各回内容
初回でレヴィナスの思想史的な位置づけや、彼の思想の全体的な見取り図を描いた上で各論に入ります。第2回では、レヴィナスが考える「無限」を、彼が源泉としていたデカルトまで遡りつつ考察します。レヴィナスの言う無限の観念とは、自己のうちにありながらも自己の同一性に包含することができないような「他なるもの」のありようです。したがって無限の観念は、私の内にありながらも私を外へと開いてくれる「欲望」として現れ、私を他者へ導く原動力となるものです。
第3回から第5回で、彼の他者性についての議論を確認します。主体はさまざまな他者と出会い、それを取り込むことで発生してくるとともに、他人の「顔」に直面することで倫理的なものへと生成していきます。さらに主体は、自分とは異なる者を求める性愛の中で変貌し、「私は私の子供である」「私の子供は私である」という逆説的なかたちで他なる未来へと開かれていくという彼の論理展開を跡づけます。レヴィナスにとって他人とは倫理的に応答するしかない「絶対的な他者」であるとともに、性愛や子どもというかたちで未来と関係づけてくれるものです。同一性に回収されることなき自己の冒険は、さまざまな困難を克服し家へと帰還するオデュッセウスの冒険譚とも、否定を通じて総合へといたるヘーゲルの弁証法ともするどく対立するものとなり、「他者」の「他者性」をいかにとらえるかという困難な課題を遂行するものとなります。その一方で彼の女性性に関する議論などにはそのままのかたちで受けとることが難しい部分もあり、この講座ではその辺りについても考察する予定です。
第6回では、ジャック・デリダによるレヴィナス論を取り上げます。若きデリダの論考「暴力と形而上学」がレヴィナスに思想的な転回をもたらしたことは広く知られていますが、そこで問われていたものは何だったのか。デリダがレヴィナスの思想に見いだし、また批判せざるをえなかったものは何だったのか考えます。そこには絶対的に他なるものをいかに捉えることができるのかという他者論一般における原理的な困難が見いだされます。
最終回の第7回では、デリダの批判を受けたレヴィナスが、その後どのように思想を展開したのかを確認して講座を終わらせたいと思います。
今日、さまざまなマイノリティや移民といったある意味で分かりやすい「他者」だけでなく、コロナ禍以降さらに加速した仕事形態の多様化などによって、自分とは異なる他者に接する機会は劇的に増えています。そうした他者といかに接するべきか、さらにそこからひるがえって自己とは何かを考えてみることは、倫理や責任といった抽象的な問題を考えるだけでなく、身近な人間関係やコミュニケーションについても再考することにつながります。自分とは異なる他者について思考することは、ますます多様化する現代社会において必須の作業となるはずです。
※受講者はアーカイブ(録画)の視聴が可能です。リアルタイムで授業に参加できない場合も見逃しなく受講できます。
※途中参加の場合も、全授業のアーカイブ動画をご覧いただけます。
※アーカイブの視聴可能期間は、講座終了から1年間です。
◆受講の流れ◆
1. お申し込み↓
2. 開講&受講の決定
↓
3. リアルタイムで授業に参加/アーカイブを見る/クラスルームから資料にアクセス
◦リアルタイム授業への参加URLは、受講決定時に自動送信されるメールに記載されている他、マイページ内「ダッシュボード」からもご確認いただけます。
◦講師とのやりとりや資料の配付はGoogle社が提供する学習管理アプリケーション「Googleクラスルーム」から行います。クラスルームにつきましては、受講決定時に別途招待メールが届きますので、そちらからご参加ください。
◦アーカイブはマイページ内「受講状況」からご覧いただけるほか、本ページ下部の「授業スケジュール」およびクラスルームからもご覧いただけます。
◦ディセミネでの初回受講時に送られる招待メールを承認することで、Googleカレンダーと自動で同期が可能です。是非ともお使いください。
授業予定
第1回 2024年11月11日(月)20:00〜21:30
第2回 2024年11月25日(月)20:00〜21:30
第3回 2024年12月9日(月)20:00〜21:30
第4回 2024年12月23日(月)20:00〜21:30
第5回 2025年1月13日(月・祝)20:00〜21:30
第6回 2025年1月27日(月)20:00〜21:30
第7回 2025年2月10日(月)20:00〜21:30
イントロダクション——〈同〉と〈他〉/全体性と無限
第2回 2024年11月25日(月)20:00〜21:30
デカルトと無限の観念
第3回 2024年12月9日(月)20:00〜21:30
私と他者①——他なるものの享受
第4回 2024年12月23日(月)20:00〜21:30
私と他者②——他者の顔と倫理
第5回 2025年1月13日(月・祝)20:00〜21:30
私と他者③——エロスの現象学と他なる時間
第6回 2025年1月27日(月)20:00〜21:30
デリダによる批判
第7回 2025年2月10日(月)20:00〜21:30
存在とは別の仕方で、あるいは存在の彼方
※ 授業の進捗等により予定が変更になる場合がございます。予めご了承ください。
こんな人におすすめ
哲学・思想に興味のある人
レヴィナスに思想に興味がある人
哲学的他者論に興味がある人
20世紀のフランス哲学に興味がある人
レヴィナスに思想に興味がある人
哲学的他者論に興味がある人
20世紀のフランス哲学に興味がある人
講師情報
授業スケジュール
2024年11月11日 20:00 〜 21:30
第1回 イントロダクション——〈同〉と〈他〉/全体性と無限
参加可能人数: 無制限2024年11月25日 20:00 〜 21:30
第2回 デカルトと無限の観念
参加可能人数: 無制限2024年12月9日 20:00 〜 21:30
第3回 私と他者①——他なるものの享受
参加可能人数: 無制限2024年12月23日 20:00 〜 21:30
第4回 私と他者②——他者の顔と倫理
参加可能人数: 無制限2025年1月13日 20:00 〜 21:30
第5回 私と他者③——エロスの現象学と他なる時間
参加可能人数: 無制限アーカイブ準備中次回開催
2025年1月27日 20:00 〜 21:30
第6回 デリダによる批判
参加可能人数: 無制限2025年2月10日 20:00 〜 21:30
第7回 存在とは別の仕方で、あるいは存在の彼方
「他者」とは何か——エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』から考える
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